脇永一さんの魂のルーツを探る!

歴史上の人物から、脇永一さんの魂のルーツを探る!

ネットの全国占術師紹介サイトの「占いタウン」で私のことをお知りになられた方々より、私の会得した『秘術・前世探査開運法』に関心を持たれ、依頼に応じて前世を探査しておりますが、ほとんどの方より「歴史小説や映画などで主人公に共鳴・共感を覚え惹かれたが、自分と魂でつながっていたと知って一層の親近感を持った」「何となく気になっていた人物だったが、魂のつながりがあると分かってビックリしたが、納得した」「或る特定の国に強い憧れを持っていたが、自分がその時代に生きていたことが前世探査で分かり、是非、旅行してみたい」「一度も行ったことがない土地なのに、何となく懐かしさを感じたり無性に惹かれていたが、やはりと思った」等々、前世探査の素晴らしさに驚かれています。
この『秘術・前世探査開運法』は、私が昭和56年に、或る大学歯学部の名誉教授とお会いしたのが縁となり、各種の運命占術をはじめ、秘術・秘伝などを一子相伝の形で授けていただき、厳しい修行の末に会得したものです。
この前世探査法は、イスラエルに古くから伝わる秘術で、生年月日と名前と顔写真を脳に強くインプットして瞑想。ほどなくして幽体離脱がはじまり、時空を遡って、本人に成り代わって魂のつながりのある歴史上の人物を探査していく秘術です。
魂は永遠に不滅で、人は皆、幾度もの生まれ変わり(輪廻転生)を繰り返しています。その生まれ変わりの度に、特定の人物から強い影響を受けたり、その人物自身だったり、または家族や親戚、一族であったり、家臣・主従の関係だったりと、人様々です。
誰でも10数人の歴史上の人物の魂とつながっていて、それらの人物から“生き方”や才能、気質・性格などを受け継ぎ、それに両親から受け継いだ遺伝子が交じり合って、“脇永一”さんを形づくっています。
脇永一さんは足利尊氏以外に、歴史上の誰々の魂とつながっているのでしょうか?
また、それらの人物からどんな生き方や才能、気質などの影響を受けているのでしょうか。

脇 永一様 昭和55年(1980年)9月21日 午後12時43分 

 例によって、沐浴斎戒後、香を焚き心が落ち着いたところで脇永一さんの誕生月日と本名、お顔を脳に強くインプットし瞑想。ほどなく幽体離脱して4次元の世界に。ここから時空を遡り、脇永一さんに成り代わって「新自分発見の旅にタイムスリップ!

 一時、辺り一面が靄に包まれていたが、徐々に靄が消えていき、三次元の世界とは比べようもない風景が目の前に展開する。見慣れている光景だが、しばし空中に静止したまま眺める。美しい山や川、野原・・・。
 向こうには点々と家も見え、その近くでは、家人たちが何事かしている。そーっと近寄ってみると、大人も子供もきれいなオーラに包まれて、楽しそうな表情だ。また、あちこちで馬や羊たちがのんびりと草を食んでいる。
 とても懐かしく、心の故郷に戻った気分だ。庭の周りの色とりどりのきれいな花に、ちっちゃな妖精たちが飛び回ったり戯れている。こっちの気配を感じて振り向いた。にっこりと微笑んでくれた。
 樹木も青々と繁り何の実か知らないが可愛い実を沢山つけている。爽やかな風に乗ってどこからか讃歌が聴こえてきた。いつもの如く生命の息吹が感じられ、なにもかもが素晴らしい光景だ。
 今、地球では人間たちの無分別と我欲のために各地で環境破壊が進み、生態系も狂ってきているのに、ここは何もかもが光り輝いている世界だ。
 ひと時、あちこちを飛び回っていたが、ここはまだ4次元と5次元の世界だ。まだ時空を遡らなければならない。もう一度、脇永一さんのことを念じながら、上へ上へと飛翔した。徐々に辺りの光景が変わっていき、光に包まれてきた。
 その光の中で乱舞するかのようなシャボン玉のような泡か透明の風船のようなものが一杯浮遊しているが、その中に魂が入っているのだ。妙なる光景と言うか、見ていると、中に入っている一つひとつの魂が人の姿に変わったり、また魂に戻ったりしている。いつ見ても不思議な光景である。この無数の泡の中をひたすら飛翔していくと辺り一面が光の海の中に。
 と、遥か向こうの方に、眩いばかりの光球から放射状の光が放たれている。この光景は表現のしようがない素晴らしい光景だ。 その光と共に無数の泡が四方に散っている。もうこれ以上は近寄れない。引き返して泡が少しまばらになった辺りを浮遊してみた。
 脇永一さんに意識を集中して、泡(魂)に呼びかけてみた。肉体を伴っていたら、それこそ永久に探し当てることは出来ないが、肉体を脱ぎ捨て今は魂だけの存在なので、無数の魂が入っている一つひとつの泡の中の魂と感応するのはたやすいことだ。
 しばらくすると感応しはじめた。呼びかけに応えてくれたのだ。それもあちこちから心に感応してくる。感応してくるそれぞれの魂に向って、脇永一さんの情報を元に繋がりがあるか問いかけてみた。すると、目の前には計20個もの泡(魂)が現れた。そして、それぞれの魂から脇永一さんと繋がりのあることが確認できた。これには正直驚いた。今まで多くの方たちの前世を探査してきたが、20個(人)も確認できたのは数えるほどしかないからだ。
 各々の魂が歴史上の人物の誰であるかは判ったが、これで終りではないのだ。今から、それらの魂が地球に生を享けていた国や時代にタイムワープして、魂のルーツ探しをすることの了解を得たのである。
 実際に肉体を纏っていた時代にタイムワープして、彼らを探して肉体の中に入り込んで、最終確認しなければならない。本人たちに会ったとしても肉体を纏っているので、本人たちには私の魂が既に彼らの魂と会ってきたことは知る由もない。
 一つひとつの魂に心を集中してタイムワープした。そして、一人ひとりの魂に会い、魂に同化してきた。その結果、脇永一さんの魂のルーツ、遍歴で登場する人物の魂、それに脇永一さんの魂にダイレクトに結びつく魂のルーツであることが間違いでないことが確認できた。
これらの魂は、脇永一さんの数え切れない生まれ変わりの過程の中で、歴史に名を留めた魂の分魂であり分身であるのだ。また、幾つかの国に生を享けていることも判明したのである。
 瞑想から覚めて時計を見ると、50分余りを要していた。ドッと疲れが出たが、まだ横になるわけにはいかない。探査してきた結果を忘れないうちに速記文字で書きとめていく。
 では次のページから判明した詳細を書いていこう。

◆脇永一さんの魂のルーツ◆
秀吉の側室、飛鳥時代の中心的哲人政治家、大化の改新の立役者の天皇、浄土宗の開祖、武家政治を再興した室町幕府初代将軍、後醍醐天皇とともに数奇な人生を送った才色兼備の后の計6人。

◆脇永一さんの魂のルーツに至る遍歴の過程で登場する魂◆
ドイツの思想家を代表する大哲学者、『銀河鉄道の夜』の童話作家、イギリスの郵便制度創設者、“真珠王”の名称を受けた実業家、伊丹十三の父で映画監督、種痘館の設置に尽力した幕末期の蘭方医、国民と夫のウィリアム3世に愛されたイングランド&スコットランド女王、日本文化の紹介に努めたアメリカ人東洋美術史学者、天保の改革を行ったが失敗した老中、ロシア女帝エリザヴェータの愛人、容姿の美しさと教養を持って知られたドイツの伯爵夫人の計11人。
◆脇永一様とダイレクトにつながる魂のルーツ◆
神聖ローマ帝国皇帝、戦国から江戸初期の武将で岩国藩祖、“文学の鬼”と称された小説家の計3人。
脇永一さんが日本以外で生まれ変わった国々:ドイツ、イギリス、イングランド、アメリカ、ロシア、スペインの6ヶ国。

〔其の一〕脇永一様 → A・ショーペンハウアー → 聖徳太子(魂のルーツ)

◎脇 永一様 昭和55年(1980年)9月21日

〓A・ショーペンハウアー 1788年~1860年 ドイツの思想家を代表する大哲学者。

★聖徳太子 574年~622年 
多くの伝説に彩られた飛鳥時代の偉大なる哲人政治家。
用明天皇の皇子。厩戸皇子。豊聡耳皇子とも呼ばれる。おばの推古天皇の摂政となり、冠位十二階の制、十七条の憲法などを定め、天皇中心の中央集権国家
を築こうとしたが、十分な効果をあげることはできなかった。

系列魂:H・G・ウェルズ 1866年~1946年 
〈世界国家〉構想を提唱したイギリスの思想家にして、『タイムマシン』『宇宙戦争』で知られる小説家&科学評論家。 

〔其の二〕脇永一様 → 宮沢賢治 → ローランド・ヒル → 天智天皇(魂のルーツ)

◎脇 永一様 昭和55年(1980年)9月21日

〓宮沢賢治 1896年~1933年 『雨ニモマケズ』の詩人で『銀河鉄道の夜』の童話作家。

〓ローランド・ヒル 1795年~1879年 イギリスの郵便制度創設者。 

★天智天皇 626年~671年 
政治に女性にあくなき執念と行動力を発揮した第38代天皇。名は中大兄。舒明天皇の皇子。
645年中臣鎌足らと計って、蘇我蝦夷・入鹿父子を滅ぼし、新政府樹立。
翌年1月、大化の改新の詔を発布。以後、孝徳天皇の皇太子として内政改革を遂行した。
655年、母后の斉明女帝の重祚後も皇太子として政権を掌握。百済の請に応じて救援軍を派遣したが、663年白村江の戦で唐・新羅軍に敗れ朝鮮から手を引いた。
667年、都を近江大津に移し、翌年即位。近江令の制定、庚午年籍の作成等を行った。
671年、長子大友皇子を太政大臣に任じ、弟大海皇子の動向を憂慮しつつ亡くなる。万葉集に歌がある。 

兄弟魂:松田優作 1950年~1989年 映画『ブラック・レイン』が遺作となった俳優。

〔其の三〕脇 永一様 → 御木本幸吉 → 法然(魂のルーツ) 

◎脇 永一様 昭和55年(1980年)9月21日

〓御木本幸吉 “真珠王”の名称を受けた実業家。

★法然 1133年~1212年 
鎌倉初期の僧で、念仏だけで十分という教えを説いた浄土宗の開祖。諱は現源空、勅諡は円光大師など。通称は黒谷上人。美作の人。
1147年、比叡山で源光の門に入り、天台を学んだが、教学などに対する疑問を生じ、西塔黒谷の叡空のもとに隠棲し、法然房源光と称した。以後20年間修学、善導の観経疏によって称名念仏に専修する悟りに達した。のち、東山の吉水に草庵を結び、老若貴賎を問わず教化した。
1186年、天台の学匠顕真と専修念仏について議論(大原問答)し、女官の出家を契機として南都北嶺の迫害を受け、1207年に土佐(実は隠岐)に配流された。その思想は選択集に最もよく表現され、至誠心、深心、回向発願心の三心によって、老若貴賎、修業の多寡など問題なく、阿弥陀仏によって救われるとした。
門下に聖光、源智、証空、親鸞などを出し、日本浄土教発展の基礎となった。

>兄弟魂:鈴木大地 1967年~ ソウル五輪背泳金メダリスト。

〔其の四〕脇永一様 → 伊丹万作 → 伊東玄朴 → メアリ2世 → 足利尊氏(魂のルーツ) 

◎脇 永一様 昭和55年(1980年)9月21日

〓伊丹万作 1900年~1946年 伊丹十三の父で映画監督。

〓伊東玄朴 1800年~1871年 種痘館の設置に尽力した幕末期の蘭方医。

〓メアリ2世 1662年~1694年 
国民と夫のウィリアム3世に愛されたイングランド&スコットランド女王。

★足利尊氏 1305年~1358年 
天皇に反逆し、武家政治を再興した室町幕府初代将軍。初名高氏。元弘の変で鎌倉幕府の命をうけ上洛したが、後醍醐天皇方に寝返り、六波羅探題を討ち建武新政の功臣となり尊氏と改名。
1335年、関東で北条時行の反乱を鎮めるや光明天皇をたて、後醍醐天皇と対立した(以後南北朝時代)。
1338年、征夷大将軍、室町幕府成立。
1352年、弟直義を殺したが6年後、直義残党との抗争中に病没。

〔其の五〕脇永一様 → アーネスト・ F・フェロノサ → 水野忠邦 → ヨハン・H・レストック → 阿野廉子(魂のルーツ)

◎脇 永一様 昭和55年(1980年)9月21日

〓アーネスト・F・フェロノサ 日本文化の紹介に努めたアメリカ人東洋美術史
学者。 

〓水野忠邦 1794年~1851年 老中として天保の改革を行ったが失敗。

〓ヨハン・H・レストック 1692年~1767年 
ロシア女帝エリザヴェータの愛人で勢力を振るった。

★阿野廉子 1311年~1359年 
後醍醐天皇とともに数奇な人生を送った才色兼備の后。
武家社会の地殻変動が始まる一方で、皇統が2派に別れて皇位の争奪に明け暮れる、そんな時代に彼女は阿野公廉の娘として生まれた。
後醍醐天皇の後宮として建武の新政の舞台に姿を現し、後村上天皇を産んだことで御国母と称され、生前に新待賢門院という門院号まで贈られた。後醍醐天皇の中宮・藤原禧子が入内する際に、侍女の一人として従う。
才色兼備の廉子、天皇に見初められて寵愛を受け、従三位に叙せられて三位局と呼ばれるほどになる。
天皇が隠岐に流された時、これに従って献身的に仕え、建武の新政が実現した際に彼女は権力の中枢を占めることになる。
後醍醐天皇の吉野遷幸にも同道して院号の新待賢門院を宣下され、天皇の死後に仏門に入った。
天皇の愛情を独占した日々、3人の皇子の誕生、幼い子供たちを京都に残しての隠岐配流、建武の新政下での栄華、わが子の立太子、戦乱と敗走、吉野への脱出等々、廉子の人生は目まぐるしく浮き沈みした。
彼女は歌才にも恵まれ、『新葉和歌集』には20首が収められている。『太平記』では、彼女は色香と小才で天皇を誑かし、政治に口をはさんだ悪婦として描かれているが、果たして本当のところは・・・。
廉子を魂のルーツとする人は、数奇な人生に彩られる傾向が高いようです。

兄弟魂:松田優作 1950年~1989年 映画『ブラック・レイン』が遺作となった俳優。
分魂:金沢桂子 1929年~ ピアニスト。
系列・姉弟魂:多岐川裕美 1951年~ 映画『聖獣学園』でデビューした女優で、ドラマ『社葬・女たちの野望』に主演。

〔其の六〕脇永一様 → アーネスト・F・フェロノサ → マリア・A・ケーニヒスマルク → 淀君(魂のルーツ)

◎脇 永一様 昭和55年(1980年)9月21日

〓アーネスト・F・フェロノサ 1853年~1908年 
日本文化の紹介に努めたアメリカ人東洋美術史学者。 

〓マリア・A・ケーニヒスマルク 1662年~1728年 容姿の美しさと教養を持って知られるドイツの伯爵夫人。

★淀君 1567年~1615年 
父母を死に追いやった秀吉の側室なった運命の女。淀殿とも。通称ちゃちゃ。父は浅井長政、母は織田信長の妹のお市の方。
浅井氏滅亡後、母が再嫁した柴田勝家に養われ、柴田氏滅亡後、秀吉の側室となり、秀頼を産み秀吉に寵愛された。秀吉の死後、秀頼を擁し、徳川家康に対抗したが大阪の陣で敗れ自殺。
 
◆脇永一様とダイレクトにつながる魂のルーツ◆
【カルル5世】1500年~1558年 神聖ローマ帝国皇帝。
スペイン王に即位後、フランス王フランソア1世と帝位を争い、フッガー家の援助で1519年にドイツ皇帝に即位、スペイン・ドイツにまたがるハプスブルク王国を形成。
ドイツを利用してスペイン‐ハプスブルク家の覇権をヨーロッパに確立しようとしたが、新教徒諸侯を中心として、反スペイン・反カール5世という性格を備えたドイツ領主層の反乱を招く。また、農民・市民層の反封建闘争も生み出され、他方フランス王・教皇との対立を深める。
1521年のヴォルムスの国会では諸侯の反逆に会いルター弾圧に失敗し、1526年には一時的に新教徒に譲歩。この間、1529年ウィーンを包囲したトルコと戦ってこれを破り、1532年ハンガリーを奪還。シュマルカルデン戦争では新教徒勢力を打破したが、反カール運動を抑えきれず、1555年にはアウグスブルクの和議が成立し、結局メッツの敗北後、帝国を維持できず、修道院に隠退せざるをえなかった。

【吉川広家】1561(永禄4)年~1625(寛永2)年 
戦国から江戸初期の武将で、岩国藩祖。
父は吉川元春。母は顔が醜いことで有名だった熊谷信直の娘。はじめの名は経信という。1570年、父と共に尼子勝久の討伐戦で初陣する。1583年、織田信長死後に天下人となった羽柴秀吉への人質として差し出された。
1586年から1587年にかけて父の元春、次いで兄の吉川元長が死去したため、その後を継いで吉川氏の当主となった。この頃、広家と改名している。広家は勇将で知られた父や兄と違って知将であり、秀吉からも元春・元長と小早川隆景死後の毛利氏を支えるその手腕を高く評価された。文禄の役、慶長の役にも参陣し、蔚山城の戦いで明の大軍を寡兵で打ち破るという見事な戦略眼を見せている。
1600年の関ケ原の戦いでは、毛利氏の当主であった毛利輝元が石田三成らによって西軍の総大将に担ぎ出されると(広家は徳川家康に加勢するよう提言したが、三成らの裏工作で広家が知らないうちに輝元が担ぎ出されたらしい)、家康率いる東軍の勝利を確信していた広家は、黒田長政を通じて家康に内通する。そして9月15日の本戦には西軍として参加したものの、家康に通じていた広家は南宮山に布陣して毛利秀元らの西軍加勢を阻止した。戦後、家康から毛利宗家の本領安堵は反故とされて、改易を命じられたが、広家は抗議。広家に与えられる予定であった周防、長門の二ヶ国を毛利宗家の領地にするよう家康に直訴した。この直訴は認められ、また広家にも岩国3万石の所領が与えられたが、毛利家では裏切り者扱いをされ続けた。
その後は周防岩国藩の初代藩主となり、1617年には188条にも及ぶ藩政の統治法を制定するなど、岩国藩の藩政に力を注いだ。
【宇野浩二】1891(明治24)年~1961(昭和36)年 
“文学の鬼”と称された小説家。福岡県出身。早稲田大学中退。大正・昭和期の小説家。
1919(大正8)年に短編小説『蔵の中』が好評を博し、ついで『苦の世界』『子を貸し屋』などによって新進作家として認められた。その後、一時精神に異常をきたし養生につとめたが、1933(昭和8)年に『枯れ木のある風景』で立ち直りをみせた。
初期作品にみられた軽妙な話術やユーモアはかげをひそめ、冷静な観察眼と手堅い写実的手法が示された。
つづいて『枯野の夢』『子の来歴』『夢の通ひ路』『器用貧乏』などの佳作を発表。戦後、自伝的長編を書き続け、1951年『思ひ川』で読売文学賞受賞。芸術院会員、芥川賞選考委員。
松川事件に広津和郎とともに深い関心を示し、『世にも不思議な物語』は事件に対する市民の関心を喚起するのに力があった。

以上、脇永一さんの魂のルーツとダイレクトに結びつく魂のルーツを簡略に紹介しましたが、11人の遍歴の過程で登場する魂については、ネットで検索したり図書館で調べてください。
冒頭にも書きましたが、この『秘術・前世探査開運法』を“人生の道標”とするために、先ず「魂のルーツ」の人物像や伝記、物語、小説などを購入し、繰り返し精読に努めてください。読み進むにつれ、他の人が読む以上に共感し、ご自分を重ね合わせることができるようになるでしょう。
何度も熟読玩味し、本をみなくても人物像がしっかりとイメージできるようになった時点から、霊験が働き、脇永一さんを護ってくれるようになります。また、今後の人生で難題や困難にぶつかろうとも、不思議なことですが啓示を得られたり、解決の糸口のヒントも得られます。しかも未だ眠っているであろう才能を開花させる手伝いもしてくれます。
これこそが、イスラエルに古くから伝わる『秘術・前世探査開運法』なのです。
尚、生まれ変わりを科学的に解き明かした福島大学経済学部教授の、飯田史彦著『生きがいの創造』『生きがいのマネジメント』『生きがいの本質』(CD付き・PHP出版社)などもご覧になってください。これらはネット書店のアマゾンでも取り扱っていますし、書店でも容易に見つけることができます。
後は脇永一さんの即、実行あるのみです!


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